中止になった大学短歌バトル

「かりん」2021.2月号 今月のスポット

 

 角川「短歌」十二月号に特別企画として「大学短歌バトル2020 詠草発表」が掲載されている。この詠草集には今年の3月に開催される予定だった大学短歌バトルのトーナメント(予選ではない)の短歌が全首載っており、短い選評も付いている。大会が中止に なってしまったことは大変残念で、僕も一出場者としてたくさん準備してきたので色々と言いたいことはあるけれど、まずは各チームの作品が日の目を見ることができて良かったと思う。気になった短歌をいくつか読んでいきたい。

   真顔でも唇にちいさな角度 サフランライスに香りを探る  

   シー短歌会 土屋映里

 唇の細かいところの発見が冴えている。誰かと食事をしている場面だろうか。視覚的にも嗅覚的にも鋭敏になっている主体像が立ち上がることで、反射的に食事相手の存在感も増してくる。または、これは一人で食事をしている場面で、自分の唇に焦点が合っていると考えても、三人称のその俯瞰した視点がおもしろい。

   海牛は海のつまさき くつしたの色の数ほどとりどりに這う

   シー短歌会 狩峰隆希

 海牛のフォルムからつまさきを連想し、次いで靴下へシームレスに一首を展開する。見立てのうまさと具体物の半抽象化が光る。大きな景と小さい景の遠近感も上手い。

   羊水の味を覚えているという友達と回し飲みするポカリ

   早稲田短歌会 阿部圭吾

 微妙に嘘をついている感じが良い一首だと思う。友達の言っていることは半分冗談だと読んだ。まさか回し飲みするポカリは羊水の味などしないと思うが、微かにしそうでもある。記憶の神秘性と友人との関係性を魅せてくる歌だ。

   春の雨まだ降っているはじめてのカフェを出るときもらうクーポン

   二松学舎大学松風短詩会 八品舞子

 時間経過の描き方が見事。やさしく降る春の雨を眺めつつ、はじめてのカフェで過ごす充実した時間が最後クーポンに収斂していく。

   半地下よりカレーの香り流れくる店なり兄と待ち合わせする 

   判者チーム 栗木京子

 半地下、でやられたと思った。都会のごみごみした感じやカレー屋独特の雰囲気の具体としてほぼ完ぺきな舞台だろう。

 おそらく来年(この文章は年末作成)もコロナの関係で対面の大会等は開きにくいだろう。遠隔収録で対戦できるようにするのか、感染対策を万全にしてリアルで行うのか、角川がどちらにするつもりなのかはわからないが、後輩組の力になれることがあるのなら何でも手伝いたいと思っている。

テン年代の短歌

「かりん」2020.11月号 今月のスポット

 

 九月五日に現代俳句協会青年部主催による勉強会「テン年代が俳句に与えたもの」がYouTube liveにて開催された。俳句に関する発表が中心に行われた勉強会であったが、ゲスト的なポジションとして短歌サイドからも瀬口真司(立教大学大学院博士課程後期所属)による発表が行われた。

 瀬口の発表は「「テン年代」の心性と短歌」と題されたもので、増田聡濱野智史穂村弘斉藤斎藤等の先行テクストを踏まえながら、「テン年代」の心性が表れていると思われる短歌作品を、具体例を挙げつつ考察していく内容だった。併せて、当日はあまり触れられていなかったが、俳句、短歌というジャンル内のジャンルが細分化されていくこと  で、既存の秀句性/秀歌性がどう位置付けられていくのか、つまりこれまでの「上達」がどの程度有効なのかという問いも資料では提起されていた。

 瀬口が挙げていたテン年代に特徴的な短歌についていくつかみていきたい。

 

〇単線的な生 VS.いま・ここにない(けどある)時間

父親とラッパの写真 父親は若くなりラッパを吹いている/阿波野巧也

 

 私の、いま・ここにある生に対して、過去に確かにあった父親の時間が併存している感覚は、決してテン年代から現れたものではないと思うが、科学技術の発展によりあらゆる出来事がアーカイブ化される世界にあっては、その感覚が顕著に出現するのかもしれない。

 

〇肯定と不安(消費し、消費されるわたしたち)

かわいいよ、がんばってって願ってるAKBの深夜番組/武田穂佳

 

 加速主義が一定の影響力を持つほどにわたしたちはこの資本主義に疲弊しきっている。その中で消費し、自分自身も無自覚に消費される構造から逃れるためにアイドル≒神を希求するも、そのアイドル≒神すらも資本主義に組み込まれている現実がある。

 

〇宙吊り・先送り・断片化――未決定になる「物語」の意味

酒が飲める ことがうれしい CM の歌 むごすぎる 「けっこう 見ていきましょう/伊舎堂仁

 

 断片化や物語の筋を分解していく手法は、テン年代的心性というよりポストモダン文学の特徴として既に八十年代には出尽くしている気もするが、あくまでも短歌において一首単位で表象されるようになったのはテン年代が中心ということになるのだろうか。

 二〇二〇年が始まってもう九ヶ月が経過した。次のディケイドが来るのもきっとあっという間なのだろう。短歌におけるテン年代の想像力について記述を急がなければならないと思う。

リアリズムってなんだ

「かりん」2020.8月号 今月のスポット

 

 「短歌研究」2020年6月号において、「永井祐」と「短歌2010」、という特集が組まれた。おそらく、短歌研究社から永井祐の第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』が再刊されたことをきっかけとしての特集だろう。第一部では、見開きの評論を穂村弘枡野浩一、大森静佳の三氏が寄稿している。また、第二部では、永井祐本人のロングインタビューも掲載されている。

 この特集内でよく言及されているのが、口語短歌のリアリズムについてだ。最初に誰が言い出したのかはわからないけれど(穂村弘?)、まるで自明であるかのように、永井祐は口語短歌によるリアリズムの更新という問題意識を持っている、と語られているような気がする。少なくとも、僕が永井祐を初めて読んだ2018年時点では、そのように捉えられていたと思う。なので、あまりに当たり前のように引き合いに出される「リアリズム」が口語短歌、もしくは永井祐個人のどのような文脈に乗せられているのか気になりながら、特集を読んだ。

 特集の第二部で、インタビュアーの梅崎実奈が『日本の中でたのしく暮らす』のリアリズムについて以下のような資料を作成していた。

・現実の再確認のリアリズム

看板の下でつつじが咲いている つつじはわたしが知っている花

・身の丈感のリアリズム

わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる

・間と気分のリアリズム

 春の星 ふとんの下に本があると思ったま ま 日曜日

 正直なところ、この括りで良ければなんでもありのような気がする。「リアリズム」という言葉がマジックワードになっていて、よけいに歌の読みが鈍ってくると思うし、リアリズムという言葉を短歌の批評の中でどう使用しているのかも曖昧な印象を持つ。

 短歌の評で使われているリアリズムがごちゃごちゃしている理由は、自然主義的リアリズムと写実主義的リアリズムを使い分けることなく文脈と引用歌に併せて「リアリズム」と一語で括ってしまうからだろう。「リアリズム」とだけ書かれると、世界文学史的にはどちらかというと自然主義的なニュアンスのほうが強い気がする。短歌の世界では写実主義的な、認識忠実主義的な意味でリアリズムという語が使われている。永井祐はインタビューでこう述べる。

 

永井 俯瞰してマクロに見ない、とにかく自分の視点で見るというのは、途中からですけど、ある程度、テーマになっている気がします。(中略)。元の位置の視点に全部戻して、次の角を曲がったら何があるかが不確定な状態になると、むしろ物事に生気が出てくる。

 

 永井祐自身は、FPS(一人称のゲーム)のような視点を大事にしているようだ。「リアル」であることをどのように捉えているのかも何となく理解できる。リアリズムという言葉を当てはめる前に、各々今一度丁寧に言語化し直してみるほうが、思索のすり合わせができて実りがあるかもしれない、と思う。

第二回笹井宏之賞発表

「かりん」2020.5月号 今月のスポット

 

 第二回笹井宏之賞が短歌ムック「ねむらない樹vol.4」で発表された。今回の選考委員は、大森静佳、染野太朗、永井祐、野口あや子、長嶋有の五名。昨年の文月悠光と入れ替わり長嶋有が参加した形になる。受賞作には、鈴木ちはね「スイミング・スクール」と榊原紘(榊、の正しくは木へんに神)「悪友」が選ばれた。笹井賞には選考委員それぞれの個人賞も設けられている。それらも含めて気になった作品を読んでいきたい。

  不動産屋の前に立ち止まって見ていると不動産屋が中から見てくる

  鈴木ちはね「スイミング・スクール」

 歌の中で二回出てくる〈不動産屋〉という言葉が、初句と四句目では意味合いが変わってくるところがおもしろい。鈴木の作品は全体的に低めの視線で統一されており、従来の短歌が押してくるマッサージのツボのような気持ちよさを意図的に回避しているようにみえる。

  階段で電波の悪さに手を振れば音頭のようでしばらく笑う   

  榊原紘「悪友」

 電波の悪いところでうろうろとする様は、確かに謎の音頭を踊っているようにみえる。自分のその姿に気づいたときの、滑稽味のある空気感が伝わってくる。。

  傘を差すようにときどき舌を出しこの世の赤いものを見せ合う

  大森静佳賞 曾根毅「何も言わない」

 お互いの舌を見せ合う様を、この世の赤いものを見せ合うと言い表すところに、まず驚く。この世には他にも赤いものはたくさんあるが、舌という限りなくパーソナルな身体の部位を見せ合うという行為に、歌の場面の「本気さ」のようなものを感じる。

  三年を経て後輩に呼ばれれば回転椅子のままで近づく 

  染野太郎賞 乾遥香「ありとあらゆる」

 距離感の縮まり具合がおもしろいと思う。後輩に呼ばれるまで三年も経ているのに、近づく際には椅子(足にローラー付き?)でやや滑稽ぎみに移動している。全体的に〈わたし〉が多い連作だった。

  Tシャツのローテーションがわかるほど会っている ねこ 赤 ストライプ

  永井祐賞 橋爪志保「とおざかる星」

 下の句の並びが読みどころだと思う。何となく相手の人柄が伝わってきたり、予定はないけど何度も会う間柄なのだと思わせたりしてくる。

  いま夏の終わりを生きていく僕の頭上の虹を盗んでほしい

  野口あや子賞 渡邊新月「秋を過ぎる」

 比較的受賞者の中では、従来の短歌っぽさを感じる。連作にいくつか技術的な瑕疵はあるものの、大振りな歌い方が魅力だと思う。

  めずらしく親のマツダでやってきた友の機嫌がよくわからない

  長嶋有賞 小俵鱚太「ナビを無視して」

 「親のマツダ」が良い。これだけで何となく〈友〉の生活圏が見えてくる。単語のチョイスが特徴的な連作だ。

 駆け足になってしまったが、以上、受賞者六名(多い!)の作品。

同年代同人誌の意義~文フリおつかれさまでした~

「かりん」2020.2月号 今月のスポット

 

 十一月二十四日に第二十九回文学フリマ東京が開催された。「かりん」からも数名参加しており、思いつく限りだと大井学さん(Tri)、上條素山さん(外大短歌)、僕(外大短歌)などが挙げられる。文学フリマでは主に同人誌が販売されるのだが、今回は、短歌同人誌の中でも、ここ数年の間に乱立をしている同年代同人誌について取り上げたい。

 同年代同人誌とは、同人が同年または同年度生まれで構成されている同人誌のことだ。例を挙げると、「OCTO」(一九七三年まれ)、「かんざし」(一九九四生まれ)、「ひとまる」(平成十年度生まれ)などである。これらの同人誌は、特に年鑑や図鑑のように歌人を網羅する役割を果たしているわけではなく、あくまで同年代間で同意のとれた者どうしで作られている。このような形態で短歌同人誌を作ることにどのような意義があるのか、「ひとまる2」の中で石井大成は、以下の三点にまとめている。

 

 ・「記念碑」としての創刊

 ・「灯台」としての存在

 ・「見本市」としての還元

 

 これらの三つの意義を同年代同人誌は、「(グラデーションに差はあれ)含んでいるとみることができる」と石井は述べる。

 この三つの意義を提示されて疑問に思うことは、読む側にとっての意義があまり見当たらない点である。同人誌が「記念碑」になり「灯台」になり「見本市」されることに対して、意味、恩恵があるのは制作者側だ。「同年代」の集まりであることで読者側に新しく見えてくる物があるのかどうかは、あまり想定されていないように思える(アベンジャーズ的なおもしろみがあるのはわかる)。そうなると、同年代という縛りに、読む側はそこまでの必要性は見いだせない。また、同年代縛りの同人誌が量産されていくことは、なんでもありのはずだった同人誌という形態を少しずつ縛り付けて不自由にしていくのではないかと危惧してしまう。

 石井も同旨の指摘はしており、同年同人誌の課題として、「生年という同人の括りを絶対視しすぎる傾向があ」り、「同年同人誌が記念碑的役割を果たすのはあくまで同人内部に向け」たものであると分析している。加えて、同人企画の自然消滅も課題の一つに挙げている。同年代同人誌の多くはおよそ一年から三年の間で自然消滅的に活動を休止している。そのようにして同人誌が活動を休止すると、「同人誌には参加できなかった同生年の歌人は同人になることも、新たに同人誌を立ち上げることも難しくな」る。「同年生まれという共有資産を使用した以上、幕引きはしっかり行うべき」とまとめている。

 作品そのものにユーザーフレンドリー性を求める必要はないと思う。ただ、せっかく同人誌を作るのなら、企画では読む側の襟元をグッと掴むつもりであってほしい。以上すべては僕のわがままな話なのだけど。

散歩【長野市編】

長野市を散歩しました。

 

もともと美術館にいく予定だったのですが、まさかの定休日で時間ができてしまったので、一人でぷらぷらと歩きました。

 

コロナで気軽に人と会えないとなると、散歩が本当に良い気晴らしになります。

 

散歩の途中で見つけたものをいくつか載せたいと思います。


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天気は良いです。長野市は、駅前に近づくほど平成に、善光寺に近づくほど古風になる街で歩いていて飽きないです。

 



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フリーとうがらし。

美容室の前。

なにかをお祓いする目的か。

 


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あ……。

 


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戦います。拳で。

 


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眠そうな鳩がたくさん。

 


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美味しそうな姉妹都市

 


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これで郵便局。かっこいい。

 


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突然、寺への道が現れたりする。

 


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長野JAのビル。やっぱ長野なだけあって、でかいのにはそれなりの納得感がある。

 


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かけそば、300円。これが本場の味か。

 


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水は噴きあがるだけでおもしろいのに、俺はいったいどうだっていうんだ。

 


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山はいい。パロラマモード撮影。

 


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ネカフェでadabana読んだ。ふつうにおもしろい。

 


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子供はわかってあげないもついでに観た。

原作の内容をけっこう忘れていたので初見みたいな楽しみ方をした。

 


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観た映画館、ここで働きたい。

 


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スクゥエアて。

 


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お、九丁じゃん、奇遇、元気してた?

 


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そういうアスレチック?

 


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いい感じに暮れています。

 

 

美術館には次の日無事行けました。
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東山魁夷の白馬ポストカード。

あと丸山晩霞の志賀高原の絵のカードも買いました。

 

個人的にはコンコルド広場の椅子シリーズが欲しかったけど売ってなかった。

 

慣れない街で散歩するとおもしろ発見センサーが敏感になりますね。

 

おわり。

エア大学短歌バトル2020

郡司和斗です。角川短歌に載ってる大学短歌バトル2020の詠草を読んで、題ごとに好きな歌を引いていきたいと思います。

 

【家賃】

この店の家賃はいくつぶんだろう束ねてもらった花を受けとる/岩瀬花恵

家賃が6万とかだとして、6万ぶんの花はたくさんあってうれしい。

 

サフラン

真顔でも唇にちいさな角度 サフランライスに香りを探る/土谷映里

細かいところの詰め方が良い。あいてをよくみてるな~。

 

生活は日照雨のように サフランの雌蕊を集めた人をしらない/朝凪布衣

明るさと暗さが同時にやってくる凄み。

 

【痛】

ケロリンの桶でぶたれて痛かったそれからきちんと見える彗星/紺野藍

アニメのシーンっぽいところがかわいい。でもほのかにもの悲しさもある。

 

【クーポン】

オンライン・クーポンかざすつつがなさ濃い新月がそこまで来ている/山口在果

下の句のかっこよさ。ただ取り合わせとしては答え合わせすぎるか。

 

【羊】

みずをくださいつめたいのを真夜中に銀のコインを吸う羊の目/佐倉柚衣

初句、二句の崩し方が水への希求と合ってる。見立ても良い。日本じゃない感じもおもしろい。

 

【片思い】

木偏の木に隣りあう夏、いずれかが片思いしているような夏/狩峰隆希

上の句はよくあるレトリックだけど選択は合ってると思う。〈いずれかが〉のブラしかたがうまい。

 

【海牛】

海牛は海のつまさき くつしたの色の数ほどとりどりに這う/狩峰隆希

うーん。かわいい。

 

【魔】

木漏れ日も虹もじいちゃんのハンカチも全部魔法に見えていたよね/濱田恒輔

完成度というより、やりきってる感じが良い。微妙に感じる〈ふざけ〉の視線のおもしろさ。

 

【雅】

雅文体 知らない声で話すとき気づけば握らされる黒い花/山口在果

〈黒い花〉の抽象性と具体性のあいだをゆく捉え方が良い。3Dホログラムみたいでかっこいい。

 

【カレー】

食缶のカレー廊下にぶちまけた真夏の君が震えだすまで/阿部圭吾

あおざめていく君の顔、いいなー。ほむほむ的な抒情。

 

就活と院進、ふたり昨晩のカレーを和語にできぬまま食う/鈴木四季

「対」を三つ詰めたところのかっこよさ。

 

海軍のカレーライスを試食する僕らに夏が近づいてくる/穂村弘

海軍って言葉だけでわっと歌のフィールドを広がって、その日の天気とか湿度とか体調まで感じる。

 

 

優勝は……みんなです!(ゆとり)