エア大学短歌バトル2020

郡司和斗です。角川短歌に載ってる大学短歌バトル2020の詠草を読んで、題ごとに好きな歌を引いていきたいと思います。

 

【家賃】

この店の家賃はいくつぶんだろう束ねてもらった花を受けとる/岩瀬花恵

家賃が6万とかだとして、6万ぶんの花はたくさんあってうれしい。

 

サフラン

真顔でも唇にちいさな角度 サフランライスに香りを探る/土谷映里

細かいところの詰め方が良い。あいてをよくみてるな~。

 

生活は日照雨のように サフランの雌蕊を集めた人をしらない/朝凪布衣

明るさと暗さが同時にやってくる凄み。

 

【痛】

ケロリンの桶でぶたれて痛かったそれからきちんと見える彗星/紺野藍

アニメのシーンっぽいところがかわいい。でもほのかにもの悲しさもある。

 

【クーポン】

オンライン・クーポンかざすつつがなさ濃い新月がそこまで来ている/山口在果

下の句のかっこよさ。ただ取り合わせとしては答え合わせすぎるか。

 

【羊】

みずをくださいつめたいのを真夜中に銀のコインを吸う羊の目/佐倉柚衣

初句、二句の崩し方が水への希求と合ってる。見立ても良い。日本じゃない感じもおもしろい。

 

【片思い】

木偏の木に隣りあう夏、いずれかが片思いしているような夏/狩峰隆希

上の句はよくあるレトリックだけど選択は合ってると思う。〈いずれかが〉のブラしかたがうまい。

 

【海牛】

海牛は海のつまさき くつしたの色の数ほどとりどりに這う/狩峰隆希

うーん。かわいい。

 

【魔】

木漏れ日も虹もじいちゃんのハンカチも全部魔法に見えていたよね/濱田恒輔

完成度というより、やりきってる感じが良い。微妙に感じる〈ふざけ〉の視線のおもしろさ。

 

【雅】

雅文体 知らない声で話すとき気づけば握らされる黒い花/山口在果

〈黒い花〉の抽象性と具体性のあいだをゆく捉え方が良い。3Dホログラムみたいでかっこいい。

 

【カレー】

食缶のカレー廊下にぶちまけた真夏の君が震えだすまで/阿部圭吾

あおざめていく君の顔、いいなー。ほむほむ的な抒情。

 

就活と院進、ふたり昨晩のカレーを和語にできぬまま食う/鈴木四季

「対」を三つ詰めたところのかっこよさ。

 

海軍のカレーライスを試食する僕らに夏が近づいてくる/穂村弘

海軍って言葉だけでわっと歌のフィールドを広がって、その日の天気とか湿度とか体調まで感じる。

 

 

優勝は……みんなです!(ゆとり)

 

短歌連作を書くときの流れ ざっくり編

①連作のテーマを決める

→やっぱり意識的にしろ無意識的にしろここからはじめないと、みたいな気持ちはある

 

②連作のテーマが決まらない

→そしてテーマが決まらないまでがお約束。バカらしい話に聞こえるかもしれないけど、そもそも短歌を書く必然性って薄くね?みたいなことを考え出してテーマが決まらない。

 

③とりあえず短歌を書く

→締め切りが2か月後だとして、1ヶ月は集中してとにかく書く。1ヶ月集中して書くと、ある程度作品にモチーフや場面の偏りが出てくる。その偏りから逆算してテーマを見出だす。

 

④短歌を探す

→例えば30首連作を作っているとして、③の作業で50首くらい作ったら20首くらいに偏りが見出だせることが多い。そうしたらその20首をもとに30首連作をつくる。そして足りない10首を探す作業が必要になる。足りない10首はもとの20首が引き出せていないテーマの側面を描くようにする。仮に友情がテーマだったとして、仲の良い内容の歌ばかりあっても厚みがない。現実はもっと複雑な機微が絡まっているわけなので、相手に悪意を向けたり、無関心になったり、いろんな面が歌にほしい。あとは、このテーマ設定であれば関係性に回収されないような歌もほしい(こういう歌はモチーフの類似などで攻める)。

 

⑤短歌を削る

→とりあえず30首まとまったら、また5-7首削る。質の低い短歌、ちょっと浮いてる短歌を連作から外す。そして④を繰り返す。

 

⑥短歌を並べる

→連作では短歌の並びが重要だったり重要ではなかったりする。並べる方法は人それぞれやり方が違うけど、よく聞くのは時系列順。朝から夜へ。夜から朝へ。春から夏へ。秋から冬へ。時間の流れにそって並べる。しりとりで並べるのもよく聞く。モチーフの関連で短歌を並べる。青→海→砂→時計→壁→家みたいな。あとは、持たせたい文脈次第で歌が前後する。〈死にたい〉って内容の歌の後に〈屋上にいる〉って内容の歌があるのと、〈屋上にいる〉って内容の歌の後に〈死にたい〉って内容の歌があるのでは微妙にそれぞれの歌の雰囲気がかわる。前者では〈屋上にいる〉の歌に自死の気配が立つ。後者では〈屋上にいる〉の歌にそこまでの深刻さは出ない。ただ、連作には右から順に読んでいく「前の力」だけでなく、左からまた読み返す「後ろの力」も働くので、そこまで歌が前後だけで決定的にニュアンスが変わるというわけではない。

並べる途中で適宜⑤をする。

 

⑦連作をほっておく

→読み返してみてダメなところがないかチェックするために1週間はほっておきたい。

 

⑧連作の調整

→短歌を差し替えたり表記を変えたりする。ラストの直観はけっこう当たるので自分を信じて最終調整。

 

ex.連作を人にみせる

→やってもやんなくてもいい。でもせっかくどこかの会に所属しているのならみせてもいいかも。どの意見を無視してどの意見を汲むかは各自の裁量で。

 

第63回短歌研究新人賞感想

気になったやつを

「Victim」平出奔

手はいつも汚れていると教わって視界の端へやってくる鳥

故郷で起こった緊急事態には関連しないこの町の天気

信号がついさっき青じゃなかったらきっと渡っていた歩道橋

この町に生まれていたら通ってた小学校から飛び出すボール

知らない人ばかりの町を生きていて友達には元気でいてほしい

 

新型コロナウィルスをテーマに選択しなくとも自然と新型コロナウィルスが連作の背景になってしまう今の状況で、近すぎずでも遠すぎず関わる態度のモデルのような作品なのかなと思う。作中にちりばめられるさまざな〈あったかも、だったかもしれない〉という可能性の示唆と物理的に我々の目には見えないウイルスの存在とを並列したあたりうまくて、今回のもろもろの騒動すべてが一種のまぼろしに感じられる現状をかなりシンプルな構図で伝えてくる。〈わたしの行動した世界、しなかった世界〉、〈わたしが生まれた町、生まれなかった町〉、〈コロナが流行った世界、流行らなかった世界〉、いくつかの軸を少しずつ傾けながら自身の半径5メートルをデッサンみたいに精密に精密に書き込んでいく。でもいい意味でゆるさもあって、結句〈とかを着る〉〈ほうをする〉とかの歌がもつモザイクな把握は平出さんっぽさを少し感じさせてくるなーと思う。いい連作っすね。

洗濯機揺れて小さなアパートも揺れて春の日を生きていること

(((・・)))ぷるるーんってやつ

 

 

「骨とひかり」涌田悠

にんじんを刻むからだの空洞にポケモンカードを盗まれた夏

空洞のなかには二十数個の夏がたまっていて、僕もときおり十個目あたりの夏が痛む。僕の場合は遊戯王カードを盗まれた夏だけど、ポケモンカードのほうが無垢な残酷さがうかんできていいね。

 

 

 

「ナイトクルージング」公木正

お月さまかがやいている ハイエースのドアの音はなぜああなのか

白い軽右折するときボコボコのドア見せながら見せるしかなく

ユーエフオー いちばん低い鉄棒で土を削って逆さ上がりを

ヘッドフォンのコード黒く濡れているような気がして前のめりに目

山がありその一角がゆれている 目線を下へ 犬がいた頃

文体と口語の口調にかぎった話ならこの連作が一番おもしろい。

1首目、20音分くらいの情報量が問いかけの形をとることで間延びされていてそののぺっとした感じが月の光とかドアの音と響きあう。

2首目、見せながら→見せるしかなくの認識の畳み掛けがおもしろい。小澤實さんの俳句みたいだ。

3首目、土を削って、がすごくて、100人に似た場面作らせても、土を削って、を出せる人はたして何人いるかなあ。

4首目、情報の明かし方が巧みで、最後の目にフォーカスがあつまる。ギャグ漫画みたいに目玉が飛び出してる様子が想像できる。

5首目、内容はよくわからないけど、〈頃〉でさらにもう一段階時間をスライドさせるのがすごくて、〈犬が寝ている〉とかにしちゃうと先行作品を越えてないんだよね。

 

 

「かわらぬ闇に」山尾閑

何だろうつぎの世紀にないものは水菜を貯めたポイントで買う

何だろう。あるかもしれないものを想像することはあるけど、ないものについて考えることはあんまりないような気がする。そこは悪魔の証明的な領域だから、何だろう、と言われてもなかなか答えにくい。口ごもる。まあでも答えてほしいわけではなさそう。空中を浮遊する問いを眺めたまま、ただただポイントで水菜を買う良さを受けとめればいいのだろうか。

 

 

「遁走準備」片山晴之

霧雨がからだの皮の形となって一緒に自転車をこいでいる

遠い日の父は風呂場にこだまする車庫の音だった一人だった

おすすめに出るものは買わない妹の四肢がにわかに湿っぽくなる

ノイズの入り方がなんかよくて、〈からだの形〉と書けばいいところを〈からだの皮の形〉にするとか、〈車庫の音だった一人だった〉みたいにリズムを崩してくるとか、〈四肢〉のワードチョイスとか細部のちからが連作全体の空気を統制している感じがした。内容もけっこうよくて「父×車庫の音」、「妹×湿る四肢」とかの組み合わせがイメージのつながりとして納得ある。

 

 

「命中」瀬口真司

真夜中をおんぶしあって進むのは誰と誰

からだは話の港

幸福でありますようにってみんな祈る。雨のなか秀吉は朝鮮へ

酔っぱらって抱えあいながら歩くとき友愛はこれからだってわかる文化通り

どの歌も「一首」で魅力的で、候補作のなかでは一番おもしろいまである。たぶん新人賞じゃなくて歌会で歌をみていたら一番採っていたと思う。

なんか全体的に酔っぱらってる歌が多いと思った。内容が酔っぱらってるのもそうだけど、文体が酔っぱらってるという印象を強く意識する。一首目の体言で切れたあとにまた体言で終わらせる余韻の作り方とか、二首目の一方ブラジルではそのころ、みたいな話の切り替え方、三首目の四句を黙読したときのドライブ感が〈酔っぱらい文体〉を演出しているのだと思った。人生をやってると、ある特定の時期(学生だったり無職だったり)に四六時中酔ってるみたいな状態になることが起きると思うんだけど、そのときのなんとも言えない刹那的な時間の使い方というか、でもそれが必要だし楽しいんだよな、みたいな思考のめぐりまで含めた謎の幸福感をこの一連から受け取った。いや、まあ、たぶん実際にはひーひー言いながら主体さんは作中を生きていると思うけれども。

 

 

「クッキー缶」小谷映

食堂で料理を運ぶ一日を落とすことなく終えてゆくとき

いらないと思えばきっとそれまでのトレイをかってトレイでお茶を

土谷さんの筆名が変わったと思ったらすぐ誌面に載っていた。筆名は変わったけど、当たり前だけど歌は変わっていない。一連全体のアベレージが高くて、こういう文体や抒情がもっと評価されないかなーと思う。けれどもう透明感方向には阿部圭吾、カオス方向には武田穂佳がいるから同世代でやっていくのは大変そうだ。

一首目、一日を落とすことなくって把握がおもしろかった。たぶん、料理を落とすことなく運んだって事実から語順をずらして表現しているのだと思うけど、確かに何か小さな目標でも達成できた一日って〈落とさなかった〉って感覚がぴったりかもしれない。

二首目、あらゆる物っていらないと思えば確かにそれまでだ。その自覚があるからこそ日々の細かい選択、ifを消していく作業に尊さがある。意外さで勝負する連作でもないし〈お茶〉の選択はこの歌にとって適切だと思う。

 

 

「静かな会話」丸山るい

ふいに雨 いつか鈍器になりそうな十年つかっている読書灯

いや鈍器になるかどうかはあなたしだいだから!ってツッコミたくなる。こういう、一見端正でエモーショナルにみえるけれども内容がどこかふざけている歌が最近は好き。この歌に関してはふざけているだけではなくて、歌の背景に暴力をふるわれる/ふるうべき相手がいるのかなーとかそのへんの切迫感のあるところまでみせて来ているのがうまいと思う。

 

 

「毒のない花」乾遥香

この春で花粉がわかるようになりわたしの可能性止まらない

これ書いたら怒られるかもしれないけど、乾さんの連作、ああ乾さんだ……みたいな感じがすごい。良い意味では作家性なんだろうけど、僕はもうかなり構造を見慣れてきて、乾さんの歌が論じられる前にみんなに飽きられてしまうのではないかとなんかはらはらする。でもこの感覚ってふだんから乾さんの歌を読んでいるからそう思うのであって、短歌業界一般ではまだまだ認知されていないからガンガンやっていって大丈夫、みたいな感じなんだろうか。おそらくその答えは、次の笹井賞で選考委員がもろもろわかったうえで乾さんを推すかどうかに懸かっている気がする。そこで今後の方向性も決まってくるんだろう。

というようなことを考えながら、引いた歌のようなタイプの歌をもっと読みたいと思った。

 

 

 

 

 

全体感想

「Victim」の受賞のフィット感がすごい。こういうとアレだけど、「Victim」はなんか受賞作っぽい雰囲気出してるし、次席の作品も次席です、みたいな顔している、特に「ナイトクルージング」。「Victim」の二次選考の段階の点数配分は、僕が去年受賞したときとほぼ同じだったけど(どの選考委員が推してるかもほぼ同じ)、こんなにもさくっと決まるのかと去年との違いに笑った。今年はやっぱ授賞式とかないんだろうか。平出さんと朝まで飲みてぇー。はやく受賞後第一作も読みたいね。

 

 

 

工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』感想

ぬらっ。

 

『世界で一番すばらしい俺』は工藤吉生の第一歌集。カバーとかついていない簡素な装丁で、同人誌みたいでかわいい感じがする。

 

帯には「膝蹴りを暗い野原で受けている世界で一番すばらしい俺」という一首と「おかしないい方になるが、高度な無力感が表現されている。」穂村弘、「人間性が色濃く表れた作品です。黒ずみにちょっとかけてみましょうよ。」加藤治郎、というコメントが寄せてある。

 

あとがきのページを最初にめくると「あとがきって、先に読みたくなりませんか。」と書いてある。あ、ばれた。ばれたというか、みんなそんなもんか。あとがきには連作の補足があっけらかんな感じで載っている。ひたすらどこどこを直しましたみたいな内容であとがきが構成されていて、そういえば新人賞の受賞のことばも似たような構成だったなと思い出した。

 

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歌集を通して読んでみて、思ったよりも全体的に饒舌な印象を持った。なんだろう、歌集を読む前に勝手にスクールカースト最底辺みたいな主体像を頭の中に作っていたからかもしれない。もっとぼそぼそしゃべるのかと思ったら、けっこうおしゃべりさんというか、苦しんでそうな場面が多いけどその割には謎の余裕もある、みたいな感じがした。

 

十七の春に自分の一生に嫌気がさして二十年経つ

 

早々に自分の人生が嫌になったらしい。でも半分本気、半分冗談かなと思う

 

自己嫌悪にうっとりしているあいだベルトゆるめに締めている手は

 

なんでかって言うと、やっぱこう、うっとり、と言えるあたりに余裕があるからかな。

 

田舎芝居「平謝り」を披露してそのブザマさにより許される

 

たぶん工藤さんの歌は真の黒ずみなんかじゃなくて、芝居めいた黒ずみなんだと思う(工藤さん自身がマジの黒ずみかどうかは知りません)。

そして僕は「ガチ黒ずみ路線」にいかない工藤さんの歌のほうが好みだ。

 

すこしなら呪われたっていいでーす 駅で運ばれてる段ボール

 

秋が来る 床屋の椅子に重大な秘密があってほしいと思う

 

すべり台を寝そべりながらずり落ちる君たちの無限の可能性

 

呪われたっていいでーす、床屋の椅子に重大な秘密、君たちの無限の可能性、みたいな、「笑いとおふざけとまじめの隙間」を狙った歌がおもしろいと思う。そういう歌のほうが現実を刺しに行くならクリティカルなんじゃないだろうか。

 

歌集中たまに

 

君らのはケンソンだろうオレの場合ほんとにダメなんだよ近寄るな

 

っていう中学生みたいなマインドが出現する歌がぽつぽつあるけど、こういう歌群なんかは逆に工藤さんの短歌の「マジの黒ずみではなさ」を表していると思う。なぜなら、ガチで鬱屈としている主人公像を立ち上げたいのであれば、こういう読者を冷めさせるかもしれないわざとらしい歌は歌集に入れないから。

 

 

笑いとおふざけとまじめの隙間を狙った短歌がおもしろいってさっき書いたけど、歌集中にはスベってる歌もそこそこあるように思う。

 

歯痛には快楽があるとドストエフスキーが書いてましたぜ、へ、へ!

 

自転車で青信号を渡ったら車に当たり飛んだよマジで

 

腰を打つ 仰向けで「アア!」「アア!」と言う 道路のうえで産まれたみたい

 

作中でも特に日記感が強い連作にこういう歌がありがちというか、ほんとうにあったかどうかは別として、「そういう事実があるというていで連作進めますね」みたいな短歌たちは、前提として共有されるべきおもしろさが作者側に寄りすぎている気がして、なんか冷める。

 

とかなんとか思いながら歌集も終盤に差し掛かり

 

三日月の欠けたところに腰かけるみたいにオレを知ろうとするな

 

って歌が出てくる。

 

読者は三日月の欠けたところに腰かけてぱらぱらこの歌集を読んできたわけだけど、この歌はすげぇ工藤吉生の歌っぽい感じが凝縮してると思う。

 

この歌集を金出して出版したのは工藤吉生だし、作品を書いて発表してきたのも工藤吉生なわけで、読者を三日月の欠けたところに腰かけさせたのは工藤吉生本人だ。

 

それでもこういう歌を書いて、歌集のおわりのほうに配置するという自意識の発露の仕方が、歌集全体に帯びる無力感やダサさを象徴していて、こういうところが工藤吉生の個性なのかなあと思う。ようは〈ローアングルツンデレ〉?みたいな。

 

だらだらと感想を書いてきたけど、勘違いされないように最後にきちんと記しておくと、『ですばら』はふつうにおもしろかったです。2020の8月は『世界で一番すばらしい俺』『予言』『悪友』『ビギナーズラック』を回し読みする感じかな~。

 

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最後に好きな歌をいくつか引きます。

 

すこしなら呪われたっていいでーす 駅で運ばれてる段ボール

 

秋が来る 床屋の椅子に重大な秘密があってほしいと思う

 

すべり台を寝そべりながらずり落ちる君たちの無限の可能性

 

生命を恥じるとりわけ火に触れた指を即座に引っ込めるとき

 

桜の木見上げて写真を撮るひとの片方曲げた足がよかった

 

公園の禁止事項の九つにすべて納得して歩き出す

 

腹をもむ いきなり宇宙空間に放り出されて死ぬ気がすんの

 

解答欄ずっとおんなじ文字並び不安だアイアイオエエエエエエ

 

届いたよ絵はがきのなかで黒猫が見上げた先にまっしろい猫

 

「少年よ神話になれ」と口ずさみ楽しげな現実のおじさん

 

あ、あと、『ですばら』は安くてよかった!

 

この本おわり。

掌編小説「500円」

就職の試験の後に駅前の日高屋でとんこつラーメンを食べていた。外に出ると、よれよれの作業着と汚いズボンを身に付けたおじさんと目があった。

「ねぇ、そこのおにいちゃん、おじさん財布すられちゃってさ、帰りの電車賃500円だけくれないかなぁ」

おじさんはそう言うと、手のひらを上に向けながら黒ずんだ右腕を差し出してきた。

なんだこの人と思いつつも、どこかなつっこい雰囲気を出していたので、「どうしたんですかあ」とつい話を聞いてしまった。

「さっき買い物してたらよぉ、気づいたら財布なくなってたんだ」

おじさんの左腕にはダイソーのビニール袋が下げてある。ビニール袋の中にはプラスチックの箱が入っていた。どうやらダイソーですられたらしい。もしそうなら、なかなかに痛い経験だ。数百円の買い物のためにいったいいくら失くしてしまったのだろうか。

「おじさん、ほんとにすられちゃったの? ほんとにすられちゃったのなら、いいよ、500円あげる」

と、僕が言うと

「いやーわりぃ」

と、おじさんはさして悪くなさそうな顔をして顎をさすりながら言った。

「でもその前に交番に報告にいこう、後で見つかるかもしれない」

おじさんのことを完全に信じた訳ではなかったので、なんとなくいじわるで提案してみた。

「いや、交番はいい、500円だけでいい」

「いやでも見つかった方がいいでしょ」

「じゃあ500円くれたら後でいくから」

「いや、じゃあじゃなくて、駅前交番が目の前にあるのに」

「ほんとに、500円だけでいいから」

似たような問答を繰り返していたら、ああ、この人は、今、本物の乞食ってやつをしているんだな、ということがわかってきて、いじわるなことを訊かずに500円をすぐに渡せばよかったなと後悔した。

「ああ、じゃあ、いいよ、500円、いらないよ、ごめんな、悪かったな」

急に声を小さくするから、なんだか本当に悪いと思いながら言っているような感じがした。

乞食をするくらいならもっと図太くいてくれないと、なんだかバランスが悪くないか。変な駆け引きに持ち込んだこっちが悪いことをしたみたいな気持ちになる。というか、このおじさんのリアクションは、乞食する相手をそういう気持ちにさせることでお金が貰いやすくなるというテクニックなんだろうなとは気づいていたんだけど、相手にそのテクニックを気づかせるところも含めてテクニックという感じがして、素直に気づきたくなかった。相手に、自分を憐れませるように、悟らせるように、把握させるように、気持ちを誘導させる。僕はまんまとその術中にはまってしまった。

「いや、ごめんなさい、これ、どうぞ」

そう言って僕は500円をおじさんに渡した。

「いやあ、ほんとに、ありがと」

おじさんは500円玉をお駄賃でももらったかのようにかるく握りしめた。

 

 

なんか今日は色々疲れたなあとため息をつきながらSuicaにお金をチャージし、南口の改札へ入ろうとした。入ろうとしたけど、その瞬間、ある想いが胸をよぎった。

そういえば、僕はおじさんを完全に乞食として認定したけど、もしかしたら本当に困っているだけだったのかもしれない。もしそうだとしたら、とても失礼なことを勝手に考えてしまった。口には出さず、心のなかだけで思ったことだとしても、(おじさんと僕の一対一の関係の上での)おじさんの名誉のために、僕自身の思い込みを放置したまま帰るわけにはいかなくなった。

くるっとUターンして改札を背に歩き出すと、おじさんがまだ駅前ロータリーのバス停で休んでいるのが見えた。見つかりたくないので駅の柱に僕は隠れた。

おじさんはスマホで誰かに電話をしていた。財布をなくしたことを連絡しているのかもしれない。電話を終えると今度はコンビニと交番の間を行ったり来たりしはじめた。おまわりさんに財布をすられたことをどう説明しようか考えをまとめているのだろうか。おじさんは行ったり来たりするばかりで、一向に交番に入らない。頼むから交番に入ってくれと祈った。そうしたらすべてがまるくおさまる。おじさんは嘘をついていなくて、疑った僕が悪かったのだと。たった数分のはずなのに気の遠くなる時間が経っているような感覚に耐えながら、僕はおじさんを見つめていた。

ちょうど、雲が晴れて夕陽が差してきた。夏の夕暮れの痛い光はロータリーの水溜まりにはねかえり、きらめく刃物のように僕に迫った。目を眩ませているときの一瞬だった。おじさんは意を決したかのように背筋を伸ばし、そして、交番ではなくコンビニへ入っていった。

ああこれは、と、疑いはもう確信になってしまった。というよりも、僕は、最初から確信はしていた。僕は、それなのにごもっともな理屈をつけて事実を確かめようとする、ただのへそまがり野郎だった。自分の悪趣味な嗜好に気づかないふりをするのはもう無理だなと思った。

夕陽の角度が数ミリ浅くなったころ、おじさんがコンビニから出てきた。

右手には、コンビニ弁当が入った茶色のビニール袋を下げていた。夕陽に照らされて、ビニール袋がきらきらしていた。

 

 

【日記】豚丼

……駅前の吉野家に三年ほど通っている……

 

……大学進学を機会に東京に来たのが一年生の夏……今が四年生の夏……ちょうどまるっと三年……引っ越して最初……それこそ半年くらいは自炊を続けていたけど……だんだんめんどくさくなり、今ではほとんどスーパーの弁当とか茹でるだけのうどんやパスタ、吉野家、マックですませる日々……特に吉野家はよく行く……

 

街に出かける前や後……お腹が空いていてもいなくても……なんとなく入ってしまう……店内は狭いラーメン屋のような席の配列……扉をあけて、私は手前から三つ目の席にいつも座る……メニューをひらくが、頼むものは決まって豚丼だ……豚丼の並盛だ……たまに鮭定食だ……でもほとんどは豚丼だ……「いらっしゃいせー」と店員が言う……平日の昼はハキハキしゃべるおばさんが働いている……頼まなくても水をかえてくれる気のきいた人……いつものように豚丼を頼む……豚丼を頼みすぎて、裏では豚やろうと呼ばれているかもしれない……

 

豚丼ばかり食べているそんな私だが、ひとつだけ豚丼に文句がある……たまねぎがいらない……豚丼に入っているたまねぎがいらない……だからいつもたまねぎを残している……小鉢に、まだつやのあるたまねぎを残している……たまねぎを残しすぎて、裏ではたまねぎやろうと呼ばれているかもしれない……毎度この調子だ……今日も豚丼を頼んだ……「豚丼いっちょー♪」……おばさんのハキハキとした声が店内に響く……豚丼がくる……豚丼を食べる……食べている……、……?!……この豚丼……たまねぎが入っていない?!……確率的にそんなことありえるのだろうか……豚丼にたまねぎが入っていない……たまねぎが豚丼に入っていない?……三年通った吉野家……見慣れた店員のおばさん……いつも豚丼を頼み、いつもたまねぎを残す私……なるほど、そういうことか……店員さんに余計な配慮をさせてしまったようだ……ありがとうございます……感謝……

 

だが、たまねぎを豚丼に入れていないということは……確定で店員は私をたまねぎ残しやろうだと認識していることになる……なんとも恥ずかしい……恥ずかしい骨……恥骨……骨の中では比較的気になる部類……店員さんの恥骨……豚丼のたまねぎ……豚の恥骨……なんだか気恥ずかしくて……数週間はその吉野家に行けそうにない……でも……きったまたすぐ吉野家に行く……そして私は豚丼を頼む……そのとき店員さんはまたたまねぎを抜いてくれるだろうか……抜いてくれたら……軽く会釈をしたいと思う……ひとこと……ありがとうございますと言おう……。

【プチ歌論】Sister On a Water3を読んで 記述的言語と発話的言語のあれこれ 

 やっとこさ「Sister On a Water vol.3」を読んだ。

 この号は三上春海さんと初谷むいさんの特集が組まれていて、さらに口語短歌の特徴についても多く言及されている。いくつか列挙すると、

・文語と口語の差異

・口語の様式化

・旧かな新かなという区分

・ですます調

・一字空け

・破調

 などなど。座談会等も含めた論考の感想としては、文語/口語という対立を、みんなけっこう使っているなという印象だった。もちろん何人かは、文語/口語という分け方が現在はあまり有効ではないと提言した上で、もしくは違和感を記した上で、文章を書いているようだったけども。

 

実際僕も、口語短歌について何かを書くとき、文語/口語という区分で話を進めて行くのは単純すぎるというか、そこまで有効ではないなと思っている(こういう考えはこれまでに文語/口語で対立させた議論が積み重なっている前提なんだけど)。

 

いくつかの論考を読んでいて、最近ちらほらインターネッツで目にする書き言葉/話し言葉で短歌を捉えようとする読みを思い出した。書き言葉=記述的言語、話し言葉=発話的言語、として僕はざっくり捉えている。この枠で考えると、短歌を〈文語の短歌〉〈口語の短歌〉で分類していくのではなく、〈記述的言語の短歌〉〈発話的言語の短歌〉〈記述発話ミックスの短歌〉でみていくことになるのだろうか。個人的な例歌を挙げてみる。

 

 

 【記述的言語の短歌】

スキー板持ってる人も酔って目を閉じてる人も月夜の電車/永井祐

真昼間のランドリーまで出でし間に黄色い不在通知が届く/吉田恭大

恋人の人さし指と中指と親指はぶどうをつまみとる/三上春海

 

手元にある本からいくつか引いてみた。三首とも、作中には5、6秒のミニミュージックビデオのような場面だけがあって、特に〈わたし〉の語りはない(ように見える)。多くの口語短歌がこれに当てはまるだろうと思って歌集を捲っていたら、意外と見つからなくて驚いた。

 

どの短歌も結構な割合で一首に呼びかけであったり発話の語尾が混ざっていたりして、かなりの数がミックスでできているようだった。こういう視点で歌をあんまり探したことがなかったから、歌を探していて変に勉強になってしまった。短歌用語で地の歌(小説でいう所の地の文みたいな)っていう言葉があるけど、そういう歌が該当するのだろうか。歌に〈景〉だけがあるのか(俳句的な感じで)、〈わたし〉のレンズを通した〈景〉があるのか、捉え方によって分類が少し分かれてきそうで、なかなか曖昧にしか評価できず難しい。

 

 

【発話的言語の短歌】

「猫なげるくらいが何よ本気出して怒りゃハミガキしぼりきるわよ」/穂村弘

目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき/穂村弘

アメリカのイラク攻撃に賛成です。こころのじゅんびが今、できました/斉藤斎藤

かんたんに「原ばく落とす」とか言うな

わらうな

マユリーをつれて帰るな/今橋愛

 

 

こっちはかなり歌を引きやすかった。初期の穂村弘が多用していた一首全部が引用符で括られてでできた短歌や引用符で括らず内心の発話とする短歌、敬体の使用等、様々な形で〈わたしの語り〉がぬっとあらわれてくる。ただ、発話的と言ってもいくつかのレイヤーが分かれているっぽくて、なんか半分くらい書き言葉っぽい歌(今挙げた中なら一首目の穂村さんの歌?)から今橋さんのような、より断片的で、意識の流れのままに書かれた感じのする歌まで、かなりグラデーションがあるように思う。

 

また、会話やセリフの形を完全にはとっていなくても、結句が「〇〇したい」「〇〇だよ」のようなつぶやきにちかい形をとっている作品は、叙述でありながら内心の発話も兼ねているように読める。そういう一首は、発話的言語の短歌とも記述的言語の短歌ともどちらともいえるのだろう。

 

【ミックスの短歌】

 

夏が来る前には春があったでしょう あったんだよ、そういうことが/乾遥香

自転車を押す間だけ空くサドルでも、ああ、そうか、そうでもないか/岩田怜武

大丈夫、これは電車の揺れだから、インスタントのスープを作る/郡司和斗

 

会話、呼びかけ、つぶやき等の細かな口調や語尾をすべて含めれば、相当数の口語短歌がこの分類になるのだろうか。挙げた歌は三首とも三句目と四句目の間に叙述と発話のちょうど中間のような支点が置かれている。そこを境として、歌が段階的に叙述→発話へとシフトしている。

 

ミックスの歌には、すでに鉄板の型があるように思う。誰が言い出したのかわからないけど、「つぶやき実景」と評される構造の歌だ。意味はそのままで、一首を大まかに上下で分割して、上下のどちらかを〈景〉、もう片方を独白なりセリフなりの〈つぶやき〉にした短歌のことだと僕は思っている(そのままで、と言いつつあんまり厳密にはわかってません)。

 

来週もお祭りあればいいよねえシチューの煮えている台所/阿部圭吾

街灯がぽおんぽおんと立っている わたしの心を選んでほしい/武田穂佳

 

引いたこの二首のような、パターン。阿部君の歌のようにつぶやきと景を地続きで書くケースもあれば、武田さんの歌のように一字空けて、景が思いの具象になるケースもある。

 

少し発展形で、

 

三月のつめたい光 つめたいね 牛乳パックにストローをさす/宇都宮敦

手のなかでルービックキューブが揃うそのやわらかさ 忘れてほしい/青松輝

 

とかの歌も挙げられる。宇都宮さんの場合は歌が三分割させていて、叙述の間に発話的言語が挿入される形になっている。青松さんの場合は、阿部君や武田さんの歌と構造はほぼ同じだけど、阿部君と武田さんの歌が記述的言語と発話的言語の半々なのに対して、かなり偏ったバランスになっている。

 

以上七首を挙げたけど、ミックスの歌はだいたいこういうパターンでできていることが多いかなーと思う。

 

ミックスの歌のなかでも、最近は句読点を使った歌が気になっている。

 

あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の/千種創一

 

エスカレーター、えすかと略しどこまでも えすか、あなたの夜をおもうよ/初谷むい

 

この二首はとても魅力的だけど、その魅力がどこにあるのかをなかなか言語化しにくいところがある。いや、歌意や韻律のいじりくり方とか、言及するところはたくさんあるんだけど、そこを掘ってもこれらの歌のおもしろさに迫っている感じがあまりしない。

 

最近はこういう読み味の歌が多い気がして、さっき引用をした、乾さんと岩田さんの歌とかも該当するのだろうか。あくまで個人的に、これらの歌の良さを端的に表すと、「口調」とか「しゃべりの癖」が出ているところだと思っている。そしてその「口調」や「しゃべりの癖」を表すために句読点が一役買っているところはあると思う。一字空けほど明確に一首を内部で分裂させず、記述/発話の言語を混ぜたり、切り替えたりする。その混ざりや切り替えの〈隙間〉にぽろっと口調が漏れているイメージで僕は捉えている。

 

それに併せて、ミックスされた言語が一首のなかで反発運動を繰り返すから、人称がずれたり、文脈の飛躍が起きたりするのだろう。一首のなかの言語切り替えのシークエンスがダイナミズムを生んで、作品に立体的な魅力を持たせている。そんな印象を僕は受けている。他の人はここらへんの歌をどう捉えているのかとても気になる。

 

【まとめ】

文語/口語で短歌を分けて考えるより、書き言葉/話し言葉で捉え直してみるほうが新しい短歌の魅力に気が付くかも!

 

 

このブログを書いている途中で、平英之さんという方が下記の通りの記事を更新していたのだけど、僕が言いたかったことのめっちゃアップデートバージョンの内容が書かれているので、ぜひ読んでみてほしい(読んでみてほしいと言えるほど僕も平さんの記事を理解できていないし、僕のブログのぽんこつぶりがあらわになるので、誘導するのが本当は恥ずかしい)。

 https://scrapbox.io/FragmentsofFragments/%E7%9F%AD%E6%AD%8C%E3%81%AB%E3%81%A8%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%80%88%E8%AA%9E%E3%82%8A%E6%89%8B%E3%80%89

 

あと、これも読んだことがなくて恥ずかしいのだけど、三上春海さんの「歌とテクストの相克」という論文が近いテーマらしいので、気になった人はそちらもどうぞ。

 

最後まで目を通してくれた方、ありがとうございました。

流し読みしてくれた方も、ありがとうございました。

 

郡司和斗