郡司和斗『遠い感』書評「一人だけ」を見つける能力  川島結佳子

 

  一人だけの民族みたいはなびらをひたいにつけて踊るあなたは

 挙げた歌は本歌集『遠い感』の巻頭歌である。私は花見の席で踊っていた「あなた」の額に、降ってきた桜の花弁が貼りついたのを想像する。そう考えると楽しそうな場面であるが、「ひとりだけの民族」はやがて滅びてしまう存在でもある。この比喩によって、「あなた」の孤独、そしてこの時間が刹那的なものであることが暗示されている。

ここで郡司和斗について述べておく。丁寧で落ち着いた話し方で親しみやすく、物事を切り取る視線は鋭い。この優しさと眼差しを持って、郡司は「一人だけ」を見つめる。

アモス もし僕が子どもじゃなかったら君を仲間にできただろうか

二席分使って眠ってる人に死ねと思って生きてと思う

きみが踊るルカルカ★ナイトフィーバーをなんどもなんども観てる真夜中 

一首目の「アモス」は、『ドラゴンクエストⅥ』に登場するキャラクターだ。「アモス」は、夜になると魔物に変身し、町中を徘徊する(本人はそのことに気づいていない)。アモスに真実を告げずにアイテムを渡すと、彼は自分自身を制御できるようになり仲間にできるが、真実を告げると町を去ってしまう。真実を告げることが必ずしも正しいことではないのは、現実社会でも同じだ。恐らく主体には、真実を告げてしまったばかりに疎遠になってしまった人がいるのだろう。その時の後悔が特殊性を持った「アモス」を通すことで、より強く伝わってくる。二首目、電車内で二席分使って寝ている人は目立つし、自分の状況によっては苛立ってしまう。主体も一回は「死ね」と思うが、次の瞬間に二席分使って寝てしまう理由や人生を想像し「生きて」と思い直す。ただ糾弾するだけではないのが郡司の歌の魅力である。三首目の「きみ」は身近な人ではなく、ニコニコ動画の投稿者だろう。ユーチューバーよりもさらに一般人であり、ダンスも決して上手なわけではない人が多い。それでもダンス動画を投稿するのは、誰かに見てもらいたいからだと思うが、主体は動画を何度も繰り返し観ることによって、動画投稿者の欲求を受け止めている。投稿者と主体という、普段の生活では絶対に交わることはない二人が、ダンスの動画によって繋がってゆく。それは一種の異界であり、かけがえのない時間であるのだ。

このように歌について述べるときに、説明が多くなってしまうのは、本歌集の特徴の一つである。そのくらい『遠い感』の歌には、理解の前提を必要とするものが多い。

みっくみくにされてしまった人たちが(みっくみく?)蟹を黙って食べる

はじけりゃYea 牡蠣好きで牡蠣アレルギー 素直にGood 明け方に眠った

一首目、栞で穂村弘が特徴的なオノマトペの歌として引いているが、「みっくみく」は初音ミクの楽曲から来ている言葉だ。初音ミクツインテールが蟹を想起させ、その蟹を黙って食べる姿にはグロテスクな面白さがある。二首目の「はじけりゃYea 素直にGood」は嵐の曲にあるフレーズだが、余りにも特徴的過ぎて本来の意味とはかけ離れたところで使われることが多くある。そのことが、牡蠣好きなのに牡蠣アレルギーや、明け方に眠るといった残念な感じと呼応している。

引用歌はたまたま私が知っていただけのことであり、私が元を知らない歌、知っていると思い込んでいるだけの歌も当然ある。読者を選ぶと言われればその通りだが、それが本歌集のマイナスだとは思わない。これらの引用は、自分と同じ道を通ってきた孤独な誰かに、あなたは一人ではないと伝えるためにあるからだ。郡司には孤独な人を見つける能力がある。それは郡司自身が孤独を知っているからだ。私は本歌集が多くの孤独な人々に届くと確信している。(かりん1月号)