第63回短歌研究新人賞感想

気になったやつを

「Victim」平出奔

手はいつも汚れていると教わって視界の端へやってくる鳥

故郷で起こった緊急事態には関連しないこの町の天気

信号がついさっき青じゃなかったらきっと渡っていた歩道橋

この町に生まれていたら通ってた小学校から飛び出すボール

知らない人ばかりの町を生きていて友達には元気でいてほしい

 

新型コロナウィルスをテーマに選択しなくとも自然と新型コロナウィルスが連作の背景になってしまう今の状況で、近すぎずでも遠すぎず関わる態度のモデルのような作品なのかなと思う。作中にちりばめられるさまざな〈あったかも、だったかもしれない〉という可能性の示唆と物理的に我々の目には見えないウイルスの存在とを並列したあたりうまくて、今回のもろもろの騒動すべてが一種のまぼろしに感じられる現状をかなりシンプルな構図で伝えてくる。〈わたしの行動した世界、しなかった世界〉、〈わたしが生まれた町、生まれなかった町〉、〈コロナが流行った世界、流行らなかった世界〉、いくつかの軸を少しずつ傾けながら自身の半径5メートルをデッサンみたいに精密に精密に書き込んでいく。でもいい意味でゆるさもあって、結句〈とかを着る〉〈ほうをする〉とかの歌がもつモザイクな把握は平出さんっぽさを少し感じさせてくるなーと思う。いい連作っすね。

洗濯機揺れて小さなアパートも揺れて春の日を生きていること

(((・・)))ぷるるーんってやつ

 

 

「骨とひかり」涌田悠

にんじんを刻むからだの空洞にポケモンカードを盗まれた夏

空洞のなかには二十数個の夏がたまっていて、僕もときおり十個目あたりの夏が痛む。僕の場合は遊戯王カードを盗まれた夏だけど、ポケモンカードのほうが無垢な残酷さがうかんできていいね。

 

 

 

「ナイトクルージング」公木正

お月さまかがやいている ハイエースのドアの音はなぜああなのか

白い軽右折するときボコボコのドア見せながら見せるしかなく

ユーエフオー いちばん低い鉄棒で土を削って逆さ上がりを

ヘッドフォンのコード黒く濡れているような気がして前のめりに目

山がありその一角がゆれている 目線を下へ 犬がいた頃

文体と口語の口調にかぎった話ならこの連作が一番おもしろい。

1首目、20音分くらいの情報量が問いかけの形をとることで間延びされていてそののぺっとした感じが月の光とかドアの音と響きあう。

2首目、見せながら→見せるしかなくの認識の畳み掛けがおもしろい。小澤實さんの俳句みたいだ。

3首目、土を削って、がすごくて、100人に似た場面作らせても、土を削って、を出せる人はたして何人いるかなあ。

4首目、情報の明かし方が巧みで、最後の目にフォーカスがあつまる。ギャグ漫画みたいに目玉が飛び出してる様子が想像できる。

5首目、内容はよくわからないけど、〈頃〉でさらにもう一段階時間をスライドさせるのがすごくて、〈犬が寝ている〉とかにしちゃうと先行作品を越えてないんだよね。

 

 

「かわらぬ闇に」山尾閑

何だろうつぎの世紀にないものは水菜を貯めたポイントで買う

何だろう。あるかもしれないものを想像することはあるけど、ないものについて考えることはあんまりないような気がする。そこは悪魔の証明的な領域だから、何だろう、と言われてもなかなか答えにくい。口ごもる。まあでも答えてほしいわけではなさそう。空中を浮遊する問いを眺めたまま、ただただポイントで水菜を買う良さを受けとめればいいのだろうか。

 

 

「遁走準備」片山晴之

霧雨がからだの皮の形となって一緒に自転車をこいでいる

遠い日の父は風呂場にこだまする車庫の音だった一人だった

おすすめに出るものは買わない妹の四肢がにわかに湿っぽくなる

ノイズの入り方がなんかよくて、〈からだの形〉と書けばいいところを〈からだの皮の形〉にするとか、〈車庫の音だった一人だった〉みたいにリズムを崩してくるとか、〈四肢〉のワードチョイスとか細部のちからが連作全体の空気を統制している感じがした。内容もけっこうよくて「父×車庫の音」、「妹×湿る四肢」とかの組み合わせがイメージのつながりとして納得ある。

 

 

「命中」瀬口真司

真夜中をおんぶしあって進むのは誰と誰

からだは話の港

幸福でありますようにってみんな祈る。雨のなか秀吉は朝鮮へ

酔っぱらって抱えあいながら歩くとき友愛はこれからだってわかる文化通り

どの歌も「一首」で魅力的で、候補作のなかでは一番おもしろいまである。たぶん新人賞じゃなくて歌会で歌をみていたら一番採っていたと思う。

なんか全体的に酔っぱらってる歌が多いと思った。内容が酔っぱらってるのもそうだけど、文体が酔っぱらってるという印象を強く意識する。一首目の体言で切れたあとにまた体言で終わらせる余韻の作り方とか、二首目の一方ブラジルではそのころ、みたいな話の切り替え方、三首目の四句を黙読したときのドライブ感が〈酔っぱらい文体〉を演出しているのだと思った。人生をやってると、ある特定の時期(学生だったり無職だったり)に四六時中酔ってるみたいな状態になることが起きると思うんだけど、そのときのなんとも言えない刹那的な時間の使い方というか、でもそれが必要だし楽しいんだよな、みたいな思考のめぐりまで含めた謎の幸福感をこの一連から受け取った。いや、まあ、たぶん実際にはひーひー言いながら主体さんは作中を生きていると思うけれども。

 

 

「クッキー缶」小谷映

食堂で料理を運ぶ一日を落とすことなく終えてゆくとき

いらないと思えばきっとそれまでのトレイをかってトレイでお茶を

土谷さんの筆名が変わったと思ったらすぐ誌面に載っていた。筆名は変わったけど、当たり前だけど歌は変わっていない。一連全体のアベレージが高くて、こういう文体や抒情がもっと評価されないかなーと思う。けれどもう透明感方向には阿部圭吾、カオス方向には武田穂佳がいるから同世代でやっていくのは大変そうだ。

一首目、一日を落とすことなくって把握がおもしろかった。たぶん、料理を落とすことなく運んだって事実から語順をずらして表現しているのだと思うけど、確かに何か小さな目標でも達成できた一日って〈落とさなかった〉って感覚がぴったりかもしれない。

二首目、あらゆる物っていらないと思えば確かにそれまでだ。その自覚があるからこそ日々の細かい選択、ifを消していく作業に尊さがある。意外さで勝負する連作でもないし〈お茶〉の選択はこの歌にとって適切だと思う。

 

 

「静かな会話」丸山るい

ふいに雨 いつか鈍器になりそうな十年つかっている読書灯

いや鈍器になるかどうかはあなたしだいだから!ってツッコミたくなる。こういう、一見端正でエモーショナルにみえるけれども内容がどこかふざけている歌が最近は好き。この歌に関してはふざけているだけではなくて、歌の背景に暴力をふるわれる/ふるうべき相手がいるのかなーとかそのへんの切迫感のあるところまでみせて来ているのがうまいと思う。

 

 

「毒のない花」乾遥香

この春で花粉がわかるようになりわたしの可能性止まらない

これ書いたら怒られるかもしれないけど、乾さんの連作、ああ乾さんだ……みたいな感じがすごい。良い意味では作家性なんだろうけど、僕はもうかなり構造を見慣れてきて、乾さんの歌が論じられる前にみんなに飽きられてしまうのではないかとなんかはらはらする。でもこの感覚ってふだんから乾さんの歌を読んでいるからそう思うのであって、短歌業界一般ではまだまだ認知されていないからガンガンやっていって大丈夫、みたいな感じなんだろうか。おそらくその答えは、次の笹井賞で選考委員がもろもろわかったうえで乾さんを推すかどうかに懸かっている気がする。そこで今後の方向性も決まってくるんだろう。

というようなことを考えながら、引いた歌のようなタイプの歌をもっと読みたいと思った。

 

 

 

 

 

全体感想

「Victim」の受賞のフィット感がすごい。こういうとアレだけど、「Victim」はなんか受賞作っぽい雰囲気出してるし、次席の作品も次席です、みたいな顔している、特に「ナイトクルージング」。「Victim」の二次選考の段階の点数配分は、僕が去年受賞したときとほぼ同じだったけど(どの選考委員が推してるかもほぼ同じ)、こんなにもさくっと決まるのかと去年との違いに笑った。今年はやっぱ授賞式とかないんだろうか。平出さんと朝まで飲みてぇー。はやく受賞後第一作も読みたいね。