第62回短歌研究新人賞授賞式 スピーチ原稿

去年の新人賞に応募してからそろそろ一年が経ちそうなので、受賞のスピーチ原稿を載せます。今後、誰かがスピーチを考える際の参考になればうれしいです。僕自身もめちゃめちゃ他の人のスピーチ原稿を読んで参考にしたので。

 

※この原稿は授賞式の「スピーチ」で発言したもので、「短歌研究」9月号に掲載された「受賞の言葉」ではありません。

 

 

 

(司会の人から、続いて新人賞の郡司和斗さまお願いします、と言われる)

ただいまご紹介にあずかりました、郡司和斗と申します。このたびは、第62回短歌研究新人賞受賞という大変光栄な機会をいただきまして、うれしくありつつも、いまだに信じられない思いです。選考委員の皆様ならびに短歌研究社様には厚く御礼申し上げます。また、普段からお世話になっている大学の短詩会のみんな、歌林の会の皆様、蒼海俳句会の皆様、北赤羽歌会の皆様、そして家族に、感謝の気持ちを伝えたいと思います。

 

短歌を書きはじめてまだ数年ですが、「ルーズリーフを空へと放つ」という連作が当選作の一つに選ばれたことを大変うれしく思っています。この連作は、誌面の選評でも少し触れていただいた通り、季節の流れや他者の存在を大切にして、外の世界とのつながりを意識してこの連作を作りました。

 

この言い方が適切かはわかりませんが、今、社会的な孤立や排除、生きることの苦しさを詠む歌がますます多くなっていると思います。都市生活の孤独感やワーキングプア、自己の出生の否定などは、とても共感を覚えますし、また、私自身も、そのような枠でくくられる短歌を多く書いています。実際、かりん賞の授賞式では「都市の若者の孤独感がよく出ている」等の選評を受けました。ですが、その方向で歌い続けることが、大きく広がった社会の谷のようなものを超えることに繋がるのかというと、それはとても疑問に思っています。むしろそれらの歌は、孤独な人/社交的な人 被害者/加害者 労働者/資本家、といった、単純な二項対立の構造を深めていくことになってしまうのではないでしょうか。

 

このような思いを持っていたものですから、「ルーズリーフを空へと放つ」で受賞することには、新人賞受賞という単なる希少性の獲得とは別に自分のなかで大きな意味がありました。それは、空虚さや虚無感を表現するにしても、自分にそれを引き寄せて、自分だけの苦しさとして書くのではなく、他者や世界との関係性のなかで書くということであり、詩歌でやっていきたいことの一つでもありました。

 

新人賞は、作品を発掘する場ではなく、あたらしい作家を発掘する場だと思っています。新しく新鮮な風を吹かせられるかどうかはわかりませんが、誰かのこころにそっとよりそうような短歌を書く歌人になりたいと思います。以上で挨拶に替えさせていただきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

阿部圭吾の短歌

花びら、と君の向こうを指差せば君が払うまぼろしの花びら/阿部圭吾「春の公園」『早稲田短歌49号』

 

最近、阿部くんの作品をどんどん好きになっている。この歌はわせたんの歌会で読んだのが最初だろうか。一読して、まずは構造に目がいく。かなり短歌そのものの財産となっている、上の句と下の句を鏡合わせにする、という構造をとっている。

 

この構造を使う効果としては、短歌の呪文性がより増す、というのが挙げられるだろう。そもそも短歌自体が呪文のよう(やたらみんな諳じて唱える)というか、呪術性の高いものだと思うが、その性質をより強化してくる。

 

呪文性が強化されるとどうなるのかというと、実用的な話から言うと暗唱されやすくなる、覚えてもらいやすくなる、ということになると思う。少しセコいことを僕が書いているように思われるかもしれないが、別に何かを暴きたいとかそういう訳じゃない。作品をいかにみせるかという点で、僕は完全無垢に見える(見せかける)作品よりもこういう作品のほうが信頼できる(できた)ということ。

 

で、作品世界の中でどう呪文性の強化が作用しているかを考えるほうがたぶん大切だと思う(のだけど)。作品世界の中では、それこそこの歌で言っちゃってる〈まぼろし〉感のようなものが、鏡合わせ構造をとることで、一首にまとわりついているのかな、と考えている。

 

(いきなりだけど、この歌じゃない話をします、ごめんなさい)

ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり/永井陽子『モーツァルトの電話帳』

という超有名な歌があるのだけど、この歌も歌の世界は〈まぼろし〉だと僕は思っている。ひまわり畑の光景が浮かぶけれども、それはなんだか、遠くて、霞がかっていて、夢の中みたいだ。そしてその〈まぼろし〉感がなぜ表れてくるのかを考えたとき、鏡合わせという構造が〈まぼろし〉感の出現を支えているのかな、という思いに至った(フレーズの反転した繰り返しによって生み出る残像、〈の〉のつながりによるずらし、語が重複しているにもかかわらず増える情報量によるバグ感、などなどの理由から)。

 

 

阿部くんの歌に戻ると、この歌もまぼろしなんだよな。まぼろしのような歌の世界の中で君がまぼろしの花びらを払うというまるでまぼろしのような光景がひろがるという、夢が覚めても夢の中、みたいな、ドラえもんでそんな話あったな、みたいなことになっている。

 

このまぼろしの重層性が、うつくしさと同時におそろしさとかも連れてきて、歌の世界に綺麗なものだけでなく、カオスも生み出しているのだと思う。俗に言う〈奥行きがある歌〉的な。

 

 

かなり当たり前のことをつらつらと書いたけど、結論は、阿部くんの歌いいな…ということです。阿部くんは間違いなく同世代の中でもすごい作家になると、僕は確信しているので、これからも作品を、読んで、いくぜ!

 

おわり

 

 

 

 

鈴木ちはねの短歌

大雨のニュースを見てる 意味もなく必要以上に部屋を暗くして/鈴木ちはね「スイミング・スクール」

 

最初から鈴木さんの歌の話とは離れていくんだけど、こういう感じの文体の歌って、豚骨ラーメンと佐野ラーメンを同時に食べている気分になれる、すごい。意味内容を深く読みにいこうとすれば別にいくらでも読めるけど、基本的にはそんなに誘ってくる歌ではない、と思うんだよなー。そういう、流して読める歌である一面を持っているところが、佐野ラーメン感を醸し出しているんだと思うんだけど、どうなんでしょう。

 

テレビを観るときは部屋を明るくして離れて観てね。とアナウンスするようになったのはいつからなのだろう。ポリゴンショック説をよく聞くけれど、ほんとうのところはわからない。必要以上に部屋を暗くして、とあるけれど、意図的に電気を消している感じはあまりしない。暗い部屋でテレビをつけて、それから「意味もなく必要以上に部屋を暗くして」テレビを観ているなと気づいたような歌だと思う。大雨の予報ではなく、大雨のニュースだから、現在進行系で外は大雨なのだろう。それか少し過去。なんとなく野外も暗そうだ。弱い自然光が部屋に満ちる。絶妙な状況を捉えたなと思う。しみじみ良い。

『春原さんのリコーダー』東直子

 

ばくぜんとおまえが好きだ僕がまだ針葉樹林だったころから/東直子

 

人を嫌いになるのには理由があっても、好きになるのには理由はいらない、とかなんとかどこかで読んだ気がするけど、実際にはどうでもいい理由を後付けしたりすることが多いと思う。だから、ばくぜんと好きだ、なんて堂々と言われたら、その正直すぎる気持ちに戸惑ってしまう。

 

針葉樹林だったころからそう想っていたというのも不思議な感覚だ。自分が生まれる前から好きだった(運命の出会いのような)ということだろうか。針葉樹単体ではなくて、林であることも良さだと思う。意識が林という空間全体に分散していく手触りがあって、なにか超越性を感じる。

 

第二歌集も文庫でもうすぐ出るらしいから早く買いたいな。

 

自己紹介

【略歴】
郡司 和斗(ぐんじ かずと)
1998年6月生。茨城県出身。俳誌「蒼海」、歌誌「かりん」所属。「焚火」同人。大学在学中に連作「ルーズリーフを空へと放つ」で第62回短歌研究新人賞受賞。他、第39回かりん賞、2022年度口語詩句賞新人賞受賞。公益財団法人佐々木泰樹育英会奨学生。詩、短歌、俳句、川柳、批評、随筆、児童文学に興味があります。


【ご依頼・ご連絡】
kazuto.06040905@gmail.com


【これまでの活動】
●〈メディア・講師〉
ドラマ『あんのリリック』(監督:文晟豪、主演:広瀬すず、原作:堀本裕樹)に俳句を提供
2019年度茨城県高等学校文芸部中央大会講師(田中拓也さんと一緒) 
TANKANESSの企画に参加
ポケモンで短歌作って歌会してみた!ダイパリメイク編〜大人になったポケモンマスターへ〜 | TANKANESS
短歌の「連作」ってどうやってつくるの? ~短歌連作ドラフトをやってみた~ | TANKANESS
フルーツポンチ村上健志さんとの句会参加
フルポン村上の俳句修行 個性を鍛える、10句の連作に初挑戦|好書好日

●〈雑誌・新聞とか〉
『短歌研究』に定期的に(たまに)載っています。
過去に作品を寄稿した媒体は『俳句界』『俳句四季』角川『短歌』『歌壇』『現代短歌』『朝日新聞』『うた新聞』『江古田文学』などです。


●〈すぐ読めるやつ〉
川柳
川柳五十一句「療養」 - 遠い感日記

川柳
川柳50句 ENGINE - 遠い感日記


俳句
俳句三十句連作「塔」 - 遠い感日記

俳句
週刊俳句 Haiku Weekly: 10句作品 郡司和斗 夜と眼 

読書ブログ
詩歌の焚火


【自作紹介】
●短歌












●俳句











●川柳










『光のアラベスク』 松村由利子 を読む


『光のアラベスク』は、「令和三十六歌仙」というシリーズの一つ。なんなのかはよくわかっていません。365首を収めた第5歌集です。装丁の薄い紙がきらきらしていて好きです。


松村さんは「歌林の会」所属。歌をまとめて読むのはじめてでした。沖縄や戦争、新聞記者、#metoo、文学、音楽、自然など、いろいろな連作のテーマが出てくるのですが、それら全てが根本的には同じ問題意識で繋がってる感じがして、歌集を槍のように鋭くしていると思います。


あと、かなり歌の幅がひろいなと思いました。人生日記のような歌から幻想的な歌、現代詩風の歌まであり、それらがテーマに合わせて選択されていて、とても力量のある印象を受けました(どこから目線って話ですが)。好きな歌は以下の通りです。




甘やかに雨がわたしを濡らすとき森のどこかで鹿が目覚める

火星行き移民船たつ佳き朝にわが曾曾曾孫の歌う讃美歌

人がみな上手に死んでゆく秋は小豆ことこと炊きたくなりぬ

いつどこで始まるかもう分からない戦争の新しき顔のぺかぺか

世界中の人が使えば地球ひとつ終わる温水洗浄便座

秋のまなこ乱反射せり浮島のいくつか風にふるふると揺れ

飛ぶために骨まで軽く進化した鳥よ乳房を持たぬ種族よ

ミツバチを飼いませんかと誘われて地平あかるむ島の冬かな

鉛筆をナイフで削る集中と思い出せない女優の名前

草原に置かれた銀の匙ひとつ雨を待ちつつ全天映す




この本おわり

第62回短歌研究新人賞 好きな歌

🐙🐟🌟

ちょっと時間が経っちゃったけど短歌研究新人賞で気になった歌の感想を書くよ。





らうたしと口に出すとき思い出す あの自販機のふるふるゼリー /中野霞「拡張子になる」


普段からふるふるゼリーを買うときに「らうたし」って言ってそう。なんかJKの間で流行りそうではある。というかもしかして流行ったことがある!?






歩道橋の階段裏の空間が金網で囲まれ何もない /浪江まき子「象」


たぶん物を捨てられたり自転車を停められないように金網で囲ってあるんだろうね。歩道橋によってはあったりなかったりするからその街の治安や生活がみえてくる。





花びらが窓を通って部屋に来る部屋はふたりの公園だから /阿部圭吾「春の公園」


謎理論を展開する歌はたくさんあるけど、成功している歌は意外とすくない印象を持っている。この歌はとてもいいと思う。公園と部屋の微妙な類似と、この歌に来るまでの連作の配置が成功しているのかな。







三つとも黒のリフィルに差し替えた三色ボールペンを部下さがす /奥村知世「抵抗をしない鳩」


黒はよく使うから、じゃあ三つとも黒のリフィルにすれば長持ちするやん!って発見をしたけど、置いた場所を忘れるあたりその人の根本的なところは変わっていない感じがおもしろい。







風に攫われるのりたま父親のへんてこぴーな投球フォーム /草間凡平「春の公園」


へんてこぴーにばかり目が行くけど、風に攫われるのりたまのほうがよほどおもしろい。お弁当を食べながら父親の草野球でも観ているのかな。






いつもなら挨拶だけのおじさんが「楽しみだね」と指さす桜 /さくらまりこ「知らなくていい」


若干おじさんへの目線にテンプレ感があって気になるけど、ゾンビがゾンビじゃなかったみたいな、フラグを回収したあとにセリフが変わるキャラクターみたいな、なんかゲームっぽい印象で不思議。





最終選考通過作はまた今度~~

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